扇風機(夏の忘れ物)

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夏も終わり肌寒い季節となりました。

それにつけても扇風機。
なかなか片付けられません。
風呂上りの汗ばんだ体に心地よい風を受けるためだけにそのままになっています。
ずぼらと言われてしまえばその通り。
だけど日中はまだ暑いこの時期、服と同じで中途半端なんだな。
しかし、もう十月も後半になってしまいました。
もうすぐ11月ですよ。
 
本格的な冬が来る前に片付けることにしよう。
 
話は違うが冬は冬で良いもんだと思います。
確かに外で寝てしまうと凍死してしまいますが、肌に感じる冷たい空気が身を引き締めるというか、夏のようなダラダラした雰囲気の微塵も無い張り詰めた空気が心地よい時もあります。
しかし、実際は暖房の利いた部屋にいるのが一番か。
 木々はじっと春が来るのを待つ。
本当は枯れてしまっているのかな?と思うような木でさえ、春になればちゃんと芽をだす。
一年なんて早いもんですね。
 

さすがに秋も深まり蚊の出没も随分減った。

が、しかし、油断大敵なことは皆さんもご存じだと思われるが、少し暖かい小春日和にでもなって、日中窓前回にでもしていた日には容赦なく奴らは復活する。

全く腹立たしい。

 夜中、布団にもぐり込みしばらくすると、たまらなく足が痒くなった。

見てみると、蚊に刺されている。
あまりの痒さに掻き毟りながら、それでも寝ようとすると、こんどは、耳元で「ブーン」と蚊が頭の近くに来襲して、今から刺してやるぞ!といった危険な音がする。
 この蚊という奴は、とことん嫌な奴だ。
本来、蚊は血を吸わなくても生きていけるらしい。
野生の蚊はそれなりに、樹液や花の蜜など自然から栄養を得て十分生きていけるらしい。
それが、血を吸うことで、横着に楽に栄養が吸収できるために、血を吸う。
 それも、人の家に無断で侵入し、血を吸うだけならまだしも痒みをお土産においていくとは何事だ!
慌てて、殺虫剤を布団の周りから部屋中に噴霧する。
多分これで、蚊を退治できたろう。しかし、今度は私がこの殺虫剤を吸い込む羽目になってしまう。
 窓を開け空気を入れ換えると、退治できたと思っている蚊が、もしや復活しないとも限らない。
しばらく別の部屋へ避難する。
 こんなことをしていると、睡眠時間が削られてしまう。
 なんとも情けないような、腹立たしいような、下らない時間をすごさなければならないイライラがまたストレスとなる。
そもそも百歩譲って、蚊の存在を認めたとしても共存することは限りなく不可能に近い。
我々に害を加えないなら何の問題もないが、病気を媒介し、血を吸うことで痒みを伴うようなことをする虫は堪えられない。
 これも我がままかな・・・・。

こけた

こけました。

こ・け・ま・し・た。

 実は、TR250で住宅地を走っていた時、左カーブを曲がったところ、目の前に車が…。
パニックになり、思い切り前ブレーキをかけ前輪ロック。

そのまま、転倒。
車の運転手から見たら、何一人芝居でゴタゴタしてるの?と思ったでしょう。
私は、バイクの下敷きで身動きとれず、呆れた運転手が車から降りて来て、バイクを起してくれました。

なんだか、思い切り情けなくなりました。

えんぴつ

「えんぴつ」
小学校までは多分、「えんぴつ」を使って文字を書いているだろう。
しかし、中学校へ進学してからは、皆シャープペンを使う。
世の中で「えんぴつ」を使う機会は、そう多くない。
大抵が、ボールペンかシャープペンだろう。
実際、私も筆記具の90%以上がボールペンだ。
 しかし、色々なことを紙に書いて考えたり、計画したり、勉強したりするときは、シャープペンを使っていた。
あるとき、長々とシャープペンを使って文章を書いていたとき、ふと、目の前にあった子供の「えんぴつ」が目についた。
何となく、その「えんぴつ」を使って、続きの文章を書き出して、ビックリした。
書きやすいのである。
 シャープペンのような、無機質で通り一遍等な当たり前の筆圧や線の太さと違った、木から伝わる温もりと、力の込め具合でいくらでも代わる書き味と筆記跡に。
確かに、書き続けていくと当然「えんぴつ」の芯は丸く太くなり、書きづらくなるが、肥後守を使って、木を注意深く削り、芯を尖らせる楽しみも増えた。
多分これが面倒なため、書き味が変わらないシャープペンが普及したのかと、勝手に納得した。
 個人的な感想だが、「えんぴつ」の芯は"B"が良い。
HBだと、少し硬く、書きにくく、線が薄い。
この線の濃い薄いということも、書き手からすると、書いた文字の心理的な影響は大であると思う。
 例えば、勉強していたとすると、紙に書かれた文字が薄かった場合、それを理解し覚えていることも薄くなるような気がしてならない。
それが、濃く書かれていた場合、視覚的な要素も加味して、相当印象に残っているような気がする。
 それと、えんぴつ削りは良くない。
早いし簡単に削れるが、一本一本の「えんぴつ」がシャープペンと同じ無機質なものになってしまう。
あくまで自分で削って、いくことにより、一本一本の「えんぴつ」がそれぞれ違った個性を持つ。
「えんぴつ」のまわりにある塗装の削り具合、木の木目が見える状態等、自分で刃物を使って削ることによって、心が静まり、「えんぴつ」一本一本に命を吹き込むような感覚を味わえる。
まあ、あくまで個人的な感想だが。
 「えんぴつ」が今時どのような位置にあるか定かではないが、もっと評価はされていいのではないか。

溜息

溜め息
 
溜め息をつくと、幸せが1つ逃げていくんだそうだ。
 
じゃ、一体幸せとはなんぞや?
 
元々幸せがあったというのかな?
 
毎日の生活の中で、ちょつとした人とのかかわりに、挨拶されて幸せを感じることもあるし、自販機の数字が揃ってもう一本当たった、なんて幸せだと思う瞬間など。
 
これから起こることが分かったら、幸せになるかな?
 
いや、知らないほうが幸せかもしれない。
 
明日のことが分からないから、希望が湧いてくるのかもしれない。

他人事ながら心配になる

スクーターに乗っている人を見る限り、物凄く不安と、心配になることがよくある。

 
スクーターと自転車を混同して、乗っている人。
 
具体的に言うと、スクーターに乗って、それなりにスピードを出しながら、両足を地面に着きそうなくらい伸ばしている人。
 
表現が難しい。
 
早い話が。いつ倒れても大丈夫なように、本来、足を置くべきところに足を置かず、両足を地面ギリギリに伸ばしながら、結構なスピードで走っている人。
 
あんなことをして、あのスピードで、転倒しそうになった時、自分の足で何とか対処できるとおもっているんだろうか?
 
そりゃ、本当にゆっくり走っている分には何とかなるとしても、40キロも出ていれば、間違いなく足が引っかかって骨折、あるいは、自分で自分の足を轢くことになるだろう。
 
見ているだけで、心配になるのは俺だけか?

嫌んなった

嫌んなった~もうだめさ~
だけどくさるのは止めとこう
陽の目をみるかもこの俺だって~

全く嫌んなった。

具体的に何かと言う訳じゃないにしても、進歩が見えない現実に苛立つ毎日。

憂歌団に救われる。
バンド練習でもなかなか上手くいかない。やっぱり、ポリシー強い。
自分のイメージとかけ離れた演奏に情けなくなります。