えんぴつ

「えんぴつ」
小学校までは多分、「えんぴつ」を使って文字を書いているだろう。
しかし、中学校へ進学してからは、皆シャープペンを使う。
世の中で「えんぴつ」を使う機会は、そう多くない。
大抵が、ボールペンかシャープペンだろう。
実際、私も筆記具の90%以上がボールペンだ。
 しかし、色々なことを紙に書いて考えたり、計画したり、勉強したりするときは、シャープペンを使っていた。
あるとき、長々とシャープペンを使って文章を書いていたとき、ふと、目の前にあった子供の「えんぴつ」が目についた。
何となく、その「えんぴつ」を使って、続きの文章を書き出して、ビックリした。
書きやすいのである。
 シャープペンのような、無機質で通り一遍等な当たり前の筆圧や線の太さと違った、木から伝わる温もりと、力の込め具合でいくらでも代わる書き味と筆記跡に。
確かに、書き続けていくと当然「えんぴつ」の芯は丸く太くなり、書きづらくなるが、肥後守を使って、木を注意深く削り、芯を尖らせる楽しみも増えた。
多分これが面倒なため、書き味が変わらないシャープペンが普及したのかと、勝手に納得した。
 個人的な感想だが、「えんぴつ」の芯は"B"が良い。
HBだと、少し硬く、書きにくく、線が薄い。
この線の濃い薄いということも、書き手からすると、書いた文字の心理的な影響は大であると思う。
 例えば、勉強していたとすると、紙に書かれた文字が薄かった場合、それを理解し覚えていることも薄くなるような気がしてならない。
それが、濃く書かれていた場合、視覚的な要素も加味して、相当印象に残っているような気がする。
 それと、えんぴつ削りは良くない。
早いし簡単に削れるが、一本一本の「えんぴつ」がシャープペンと同じ無機質なものになってしまう。
あくまで自分で削って、いくことにより、一本一本の「えんぴつ」がそれぞれ違った個性を持つ。
「えんぴつ」のまわりにある塗装の削り具合、木の木目が見える状態等、自分で刃物を使って削ることによって、心が静まり、「えんぴつ」一本一本に命を吹き込むような感覚を味わえる。
まあ、あくまで個人的な感想だが。
 「えんぴつ」が今時どのような位置にあるか定かではないが、もっと評価はされていいのではないか。